【コラム】第2回 まちづくりって、何だろう?  ~その2~

 「市民の言葉」として多様な意味を有する「まちづくり」は、まずは、相手がどのような意味で用いているかを理解することが肝要です。今回は、学生が市役所の職員とやりとりしたケースから「まちづくり」の捉え方を深めてみたいと思います。

【例1】A市の「まちづくり協議会」を調査したくて「まちづくり推進課」に連絡したら「コミュニティ推進課」が窓口だと教えてもらった。

もうひとつ、似たような例を見てみましょう。

【例2】B市の「協働推進課」の方に町内会の課題を尋ねたら「まちづくりは『地域コミュニティ課』が担当なので、確認してみます」と言われた。

 

 2つのケースとも行政の職員の方であれば腑に落ちるかもしれません。しかし、学生にとっては謎です。

 まず、【例1】の「まちづくり推進課」は、土地区画整理事業や地区計画などを担当している部署でした。「都市建設部」の中の「まちづくり推進課」だったんですね。前回「まちづくり」はそもそも都市計画の分野から拡がった言葉であると紹介しました。その文脈からの「まちづくり」です。大学の研究者でも「まちづくり」を教えている方は、都市計画・開発、公共インフラの整備を専門としている場合が多いです。ディシプリンには学術的な安定性が求められますから、「まちづくり」の現場での意味が多様であったとしても、そういう傾向が強くなるのです。

 【例2】は、さらに分かりにくいかもしれません。協働推進課は、市民活動やNPOとの協働、中間支援等を担当しています。ここでは、こうした営みを「市民団体活動」としておきましょう。「市民団体活動」と「町内会や自治会等の活動(地縁団体活動、としましょう)」が別の部署に分かれていて、かつ、後者を「まちづくり」と呼び慣わしているケースです。こうした背景について、さらに深めてみます。

 2つのケースに共通しているのは「コミュニティ」という言葉です。国内で「コミュニティ」の施策が推進され始めた時代は「まちづくり」が使われ始めた時代と重なっています。つまり、特に「行政」においては「コミュニティ」の活動が概ね「まちづくり」と解される根拠のひとつが、その時代性にもあります。

 「コミュニティ」が国(旧自治省)の施策として提唱されたのは、1969年です。経済優先の国土づくりの結果生じた地域課題に対応すべく、従来から農村部に根付いていた「村落共同体」や都市部に見られた「町内会」等の伝統的な地縁団体と異なる「市民としての自主性と責任を自覚した個人および家庭を構成主体として、開放的でしかも構成員相互に信頼感のある集団」[1]として「コミュニティ」づくりが目指されました。

 ちなみに「町内会」等は戦前から存在していましたが、戦時中は行政の末端組織として、国家による戦時宣伝(プロパガンダ)を担いました。その結果、戦後、GHQにより結成が禁じられます。しかし、1952年のサンフランシスコ講和条約にてこの政令は失効し、再び「町内会」等が復活することになります。その際、戦時の反省から、行政との分離が図られ、自主的な自治組織としての運営が目指されました。しかし実質的には、行政の末端・補助的機能を併せ持った組織として現在に至ります。

 1969年から展開した「コミュニティ」施策は、1980年代まで活発に続きます。バブル景気にも背中を押され、コミュニティ・センター等のハード整備に一定の成果を残します。しかし、当初目指された「町内会」等に代わる新たな「コミュニティ」が形づくられたかというと、そうでもありません。実質的には、高度経済成長期を経て弱体化した「町内会」等の地縁団体が「コミュニティ」として再編され、地域の「まちづくり主体」として位置付けられたケースが少なくありません。一般的に行政での「コミュニティ推進課」や「地域コミュニティ課」等の部署は、この時期から続く「コミュニティ」施策を下敷きにしています。「まちづくり」という言葉が醸し出す行政の関与と地縁のイメージには、こうした意味合いもあるのです。

 さて、1990年代前半にはバブルが崩壊します。国や自治体の財政が厳しくなる中で、コミュニティ施策もシュリンクしていき、コミュニティ組織の形骸化が見られる一方で「コミュニティ」の役割が、より一層必要な時代となります。そんな中、阪神淡路大震災(1995年)により、地縁を越えたボランティアの意義が見出され、NPO法(1998年)の制定に結実し、「市民団体活動」が拡がっていきます。その後「まちづくり協議会」等により、こうした「市民活動団体」の取り込みが目指されますが、【例2】のように「市民活動団体」と「地縁活動団体」との区別が維持されているケースがほとんどです。

 また、時を同じくしたエポックメイキングな出来事と言えば、インターネットです。インターネットの拡がりは「コミュニティ」にも大きな影響を与えます。従来までは、地縁に関係なく関心でつながる機能的な人間関係は「アソシエーション」あるいは「テーマコミュニティ」と称され、地縁を前提とした「コミュニティ」と区別されていました。しかし、2000年始めくらいからインターネット上で「コミュニティ」という呼称が拡がっていきます。そうした傾向を踏まえ、従来からの「コミュニティ」は、冒頭に「地域」と付して、現代では「地域コミュニティ」と称されるようになりました。 現代における「まちづくり」そして「コミュニティ」の意味は、その後の「新しい公共」や「まちづくり三法」、「地方創生」の展開等にも影響を受けますが、そのあたりは、次回にお話しましょう。


[1]           国民生活審議会調査部会(1969)「コミュニティ〜生活の場における人間性の回復〜」

九州大学 専任講師

福祉とデザイン 理事

社会福祉士

田北雅裕 TAKITA Masahiro

一覧に戻る

コースや体験レッスンの
お問い合わせ

お電話でのお問い合わせ

TEL.092-524-2245

受付時間:
9:30~21:00(火・水・木)/9:30~19:00(月・金)
土・日・祭日休み