【コラム】第1回 私と運動の関わり ①

 運動の研究を私は福大就任8年後から始めたが、次第に自分でも運動(特に水泳)に滅入り込んでいったので、人々から「学生時代の部活の続きですか?」などとよく聞かれた。実は私は本来、運動は苦手な上に、郷里(大隅半島の田舎町)には海は勿論、プールも無い時代。せいぜい夏休暇に霧島温泉プールで父に古式の泳法を習った程度であった。小学2年次に日支戦争、6年次には日米戦争も始まった。その頃、健康優良児に選ばれた事が今でも不思議である。

 中学(鹿児島2中)では苦手の体操や軍事教練で鍛えられ、その2科目が何時も私の席次を落とすので運動が益々嫌いになった。3年次の半ばからは学徒動員、4年次の夏に動員先で終戦。結局、小学2年から中学を終える頃までの戦争っ子。

 翌年の高校(旧制/七高)は市内の鶴丸城城址内にあった校舎が戦災で鹿児島市ほぼ全体と共に完全に焼失していたので、出水の海軍航空隊跡のバラック校舎に入学、しかも食糧休暇なるものが頻回に有ったので、授業は辛うじてで、運動など飛んでもなかった。                            

 九大時代の4年間で食料難は次第に解消された。卒業後は医化学の大学院でプロタミン(ボラの睾丸のタンパク質)の化学構造解明の下請けをさせられたが、そのテーマが教室看板の名称(医化学)からは程遠い事に辟易した。当時の日本ではタンパク質の構造解明が焦点だった様で、その中の小さな分子のプロタミンの構造を東大・京大・九大の3施設で競争中であったので仕方なかった。研究の合間に図書室で同じ蛋白・ペプチド分野の近着論文をめくっていると、文字どうり医学の化学論文が泉の様に湧出していて吃驚仰天した。例えば高血圧の病因に関してレニン・アンジオテンシン系(RA系)と言う新昇圧系物質に関する諸論文に度肝を抜かれた。高血圧学は学生時代の講義で僅か5分間位聞いただけだったし、高血圧の重大さすら深刻には認識されていなかったので、同じ蛋白・ペプチドの分野で日米の研究テーマの違いに刮目させられた。そこで私は与えられたテーマの論文を仕上げた後は、一人で勝手にRA系阻害薬の研究を始めた。然し一介の大学院生にそれを許す環境など当時の日本には有り得ない事を悟り、その道の第一線のルツボへ飛び込む事にした。                                 

 留学で溜飲を晴らしての帰国後は内科に入局し、直ぐ関連病院(八幡製鉄病院)に出向したが、2年半後に九大に新設予定の循環器内科の助教授に任命された。早速その道で懸案のヒト・アンジオテンシンに取り組み、約2年間で解明出来たので、益々RA系の研究に没入して行った。然しその頃、全国的な学園紛争が起こり、九大医学部でも、教授会 対 教官会(助教授以下の教官会)と言う対立した会で、私が教官会側の会長に選出された。教授を助けるべき身分に矛盾する狭間で、私はストレス性胃炎を患い、早々に同役員を辞職させて貰った。偶々その頃、若い一人の研究生から和白海水浴場に誘われ、そこで手・足ばかりか全身全霊迄100%完全に縦横無尽に動かせる解放感が、私に生涯忘れ得ぬ心身の爽快感を焼き付けた。学園紛争が漸く収まり始めた頃、福大に医学部が新設されるとの事で、私もその打診を承諾した。赴任2年前頃だったが当時の新聞で、福大体育学部に運動生理の専門家の存在を知り、私は運動の研究を夢見て胸を膨らませ乍ら、益々水泳に凝りだした。

国際高血圧学会名誉会長

福岡大学医学部名誉教授

九州大学医学部卒業

荒川規矩男

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