【コラム】第1回(全3回) 「出会いの記憶 ——「文化貧弱都市」への違和感と、一本の糸」

田村大氏

神奈川県生まれ。幼少期を福岡県・小倉で過ごす。東京大学大学院学際情報学府博士課程単位取得退学。新卒で博報堂に入社後、デジタル社会の研究・事業開発等を経て、株式会社リ・パブリックを設立。欧米・東アジアのクリエイティブ人脈を背景に、国内外で産官学民を横断した社会変革・市場創造のプロジェクトを推進している。2014年、福岡に移住し、九州を中心とした活動に移行。2019年、UNAラボラトリーズを共同創業、筑後を中心に、ものづくりの新たな可能性を拓くべく、多様なステークホルダーを交えたエコシステム形成に取り組んでいる。現在、北陸先端科学技術大学院大学にて客員教授を兼任。


 2014年10月、家族と福岡に移り住みました。当時は妻と長女の3人です。最初に感じたのは、都市の空気の明るさでした。コンパクトで、食べ物がおいしく、人が親身で、よそ者にやさしい。荷物を解きながら、少し拍子抜けするほどの心地よさがありました。

 ただ、住み始めて数か月が経つと、ある種の歯痒さも出てきました。福岡は長い歴史を持つ都市です。大陸との交易で栄えた博多は、日本の中でも最も早く外の文化を受け入れてきた場所のひとつです。それなのに、その蓄積が街に見えにくい。美術館や劇場の数、独立したギャラリーや工芸の店——東京と比べると、文化のストックが表面に出てこない感覚がありました。僕は心の中で「文化貧弱都市」と呼んでいました。愛情半分、苛立ち半分の、個人的なあだ名です。

 転機は、白水高広との出会いでした。彼は福岡県南部、八女という町で、「うなぎの寝床」という店を営んでいました。古い町家を改装した空間に、筑後地方を中心とした工芸品が詰め込まれていました。

 白水がその頃リリースしたばかりだったのが「現代版MONPE」でした。200年余りの歴史を持つ久留米絣を素材に、現代の日常着として仕立て直したもんぺです。「これは着たい」と思いました。工芸品に昔ながらの作法で接するのではなく、アレンジして使って暮らすという視点。その転換のなかに、白水の仕事の本質がありました。

 この出会いが、何かの糸口を開きました。文化がないのではなかった。見えにくいだけでした。あるいは、見えるかたちにする誰かが、まだ足りていなかっただけかもしれません。その問いを抱えたまま、福岡での次の章が始まろうとしていました。

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